脅迫テープに使われた子供の声
父の遺品を整理していた男が、古いカセットテープを見つける。再生すると、幼い頃の自分の声が流れてくる。その声こそ、日本中を震撼させた未解決事件で犯行グループが使用した脅迫テープのものだった——。
『罪の声』(2020年)は、グリコ・森永事件(1984〜85年)をモチーフに元神戸新聞記者・塩田武士が執筆したミステリー小説を映像化した作品です。原作は塩田武士著『罪の声』(講談社、2016年刊/講談社文庫、2019年刊)。塩田は大学時代にこの事件の関係書籍を読み、脅迫電話に子どもの声が使われた事実を知り、自らと同年代でもあるその子どもの人生に関心を抱いたといいます。小説家としてのデビュー後、編集者との協議を経て筆力と経験を積み重ね、ようやく完成させた本作は、2016年度「週刊文春ミステリーベスト10」国内部門第1位、第7回山田風太郎賞受賞など高い評価を得た社会派エンターテインメントの傑作です。
罪の声 / 塩田武士 (文庫)
累計80万部突破!! ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 「週刊文春」ミステリーベスト10 2016年 国内部門第1位 第7回 山田風太郎賞受賞作 第14回 本屋大賞 第3位 第44回日本アカデミー賞12冠 映画原作 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 昭和最大の未解決事件の〈真相〉に挑む。 「これは、自分の声だ」 京都でテーラーを営む曽根俊也。自宅で見つけた古いカセットテープを再生すると、幼いころの自分の声が。それはかつて、日本を震撼させた脅迫事件に使われた男児の声と、まったく同じものだった。一方、大日新聞の記者、阿久津英士も、この未解決事件を追い始め–。 圧倒的リアリティで衝撃の「真実」を捉えた傑作。
「脅迫テープに使われた子供たちは、今どこで何をしているのか」——犯人捜しではなく、この問いこそが物語の推進力。事件の「被害者」でも「加害者」でもない宙吊りの場所に置かれた子供たちの人生を追うという発想に、本作の核心があります。
野木亜紀子脚本の精緻な構成
脚本を担当したのは、ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」「アンナチュラル」「重版出来!」などの野木亜紀子です。本作で野木は第44回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞しています。
500ページを超える原作を142分に凝縮するにあたり、野木が選択したのは「二人の主人公によるバディ形式」への換骨奪胎でした。原作とは異なり、野木は本作を曽根と新聞記者・阿久津英士のバディムービーに仕立て、よりエンターテインメント性の高いものにすることを狙ったのです。
阿久津と曽根、それぞれが別々に調査を進め、時間軸を行き来しながらパズルのピースが嵌まり込んでいく構成は、「取材シーンの連続」という構造的な難点を、息継ぎを許さない緊張の糸で乗り越えています。センセーショナルな謎解きの代わりに選ばれたのは、事件の裏側に埋もれた人間の痛みへの眼差し——これは「アンナチュラル」「MIU404」を貫く野木の作家性そのものです。
事件に巻き込まれた子供たちの人生
本作は一見、ミステリー映画のように思えますが、観客を引き込む推進力は「犯人探し」ではありません。むしろ、事件に巻き込まれてしまった子供たちが、今どう生きているのか―その切実な問いこそが、物語を前へと進めるのです。

脅迫テープに使われた子供は、曽根を含めて3人。姉と弟の2人を含む、この子供たちの「その後」を追ううちに、観る者は自然と彼らの幸せを願い、不安な気持ちになっていきます。
ある者は家族を作り幸せに暮らしている。ある者は地を這うような生活を送り、影の中で息をひそめている。そしてある者は、夢を追うことすらかなわず命を落としてしまう―。
三者三様の人生が描かれることで、物語は単純な「不幸になった」という結末ではなく、人生の複雑さと多様性を示しています。特に、生島望美(市川実日子)の人生を丁寧に描いたことで、観客である私たちは彼女の人生の目撃者となり、その記憶を刻み込まれるのです。
小栗旬×星野源——対照的な演技がぶつかるとき
本作は小栗旬と星野源の初共演作品です。
小栗旬が演じる阿久津英士は、かつての矜持を芸能担当という日常に埋もれさせた新聞記者。事件を追ううちに、ジャーナリストとしての本来の姿を取り戻していく男を、小栗は抑制の効いた佇まいで表現します。
一方、星野源が演じる曽根俊也は、父の遺品から己の声の痕跡を掘り起こしてしまった京都のテーラー。自分が知らぬうちに「事件の道具」として使われていたという事実を前に、内向きに揺れ続ける男を、星野は表情を極力排した演技で体現します。小栗は、星野源について「実際の心の中は動いているんだろうけれど、あまり表情で伝える作業をしない」と語り、見ている者に想像させる時間を作れる芝居の強度を高く評価しています。
自分の声が証拠であるという逃れようのない事実を抱えた曽根が、阿久津と邂逅し、それぞれの罪悪感が静かに共鳴していく終盤——そこに生まれる余韻は、明快な感動の型には収まらない種類のものです。
実力派助演陣が紡ぐ「人生の重み」
メインの二人を支える助演陣もまた、本作の重要な柱です。
白眉は、宇野祥平が演じる曽根宗一郎(もう一人の「声の子供」)。登場した瞬間から、言葉を一切必要としない佇まいだけで、過酷な年月の蓄積を伝える演技は看過できない強度を持っています。部屋に置かれたある「物」を通して、その人生が一瞬で了解される演出との相乗効果も峻烈です。
市川実日子が演じる生島望美の人生の描き方も精緻です。事件に巻き込まれた三者三様の「その後」——幸福に生きた者、影の中に息をひそめた者、夢を叶えられなかった者——を並列させることで、本作は「悲劇」という単純な結語を拒みます。観る者は、望美の人生の静かな目撃者となり、その記憶を画面の外へと持ち帰ることになるでしょう。
また、主題歌はUrが担当。本作のために書き下ろした「振り子」は、映画を何度も鑑賞し、幾度となく改稿を重ねて完成させた楽曲です。作品の余韻を静かに延長するその旋律も、VODで鑑賞する際に聴き逃したくない要素です。
昭和から令和へ——「罪」を誰に問うのか
本作の時代的射程は、単なる昭和回顧を超えています。
塩田は、グリコ・森永事件(警察庁広域重要指定114号事件)について「発生日時や場所、挑戦状や脅迫状の文言、報道内容に関しては、史実通りに書いた」と語り、事件の現場を取材し、犯人の息遣いを感じ、ノンフィクションとフィクションの境を意図的に曖昧にして執筆したと明かしています。
この事件は1984年3月、兵庫県西宮市で江崎グリコ社長が自宅から誘拐され、身代金10億円と金塊100kgが要求されたことに端を発します。「かい人21面相」と名乗る犯人グループはその後、丸大食品・森永製菓・ハウス食品など食品メーカー6社を次々と脅迫。140通を超える挑戦状や脅迫状を警察・マスコミに送りつけ、店頭に青酸入り菓子をばら撒くという手口で日本社会全体を震撼させました。警察や報道機関を翻弄するその手法は「劇場型犯罪」と評されました。2000年2月に全事件の公訴時効が成立し、警察庁広域重要指定事件としては初の未解決事件となっています。
学生運動の余熱が残り、マスコミが事件を「劇場」として消費していた昭和——その時代の「空気」を、映画は若い世代にも伝達できる形で再現しています。そして物語は最終的に、「罪を誰に突きつけるのか」という問いを、答えのないまま観る者に手渡します。
ラストシーンに込められた象徴的な描写——曽根が子供の頃に手にしていたものを、彼の娘という新しい存在が壊す瞬間——は、親から引き継がれた罪悪感が次世代によって浄化されうるという、かすかな希望の表明でしょう。断罪ではなく、人生の継続。その静謐な余韻が、本作を単純な社会告発劇の域から一段高い地平へと押し上げています。
まとめ:「罪の声」が問いかけるもの
142分、一度も弛緩しない緊張の糸。その持続を可能にしているのは、謎解きの快楽ではなく、三人の子供たちの「その後の人生」を観客が我が事のように引き受けてしまう物語の引力です。
グリコ森永事件という実在の事件を丁寧に再現し、その裏で翻弄された人々の人生に光を当てたことで、観る者に深い余韻を残します。小栗旬と星野源のダブル主演、野木亜紀子の脚本、実力派俳優陣の熱演が融合し、映画としての完成度も非常に高い作品となっています。
「罪悪感は、誰のものか」——この問いを胸に抱えたまま、エンドロールを見届けてください。
